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AIを知る本棚 vol.1 「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」(新井紀子/東洋経済新聞社/2018年2月刊行)

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「シンギュラリティが到来する?」――到来しません。

AIが東大を目指す、というプロジェクトについて聞いたことのある読者も多いだろう。日本の国立情報学研究所が主導で「ロボットは東大に入れるか」をテーマに行われたプロジェクト、通称「東ロボくんプロジェクト」だ。

ロボットと言っても、それは一般へのわかりやすさを優先した言葉であって、メガネをかけた受験生型のアンドロイドが作られたわけではない。実際には腕だけの筆記ロボットである。

ご想像のとおり、このプロジェクトの主題は「ロボットが」ではなく「AIが」東大に入るだけの学力を身につけることが出来るかどうかにあった。

今回紹介するのは、その「東ロボくんプロジェクト」のリーダーだった新井紀子氏による著書だ。
日本でもっとも注目されたAIプロジェクトのリーダーによる本ということで、各界で大きな話題を呼び、大ヒット作となった。

その大ヒットの裏には、AIの可能性に大きく期待を寄せた人々の思いもあっただろう。何しろ、AIを東大合格並の頭脳へと育てようとした張本人である。きっと、AIの最先端、そして希望ある未来が見通せるに違いない…。

そんな期待を裏切って ――または安堵を与えるように、冒頭で著者はこう言い切る。

「AI が神になる?」──なりません。「 AI が人類を滅ぼす?」──滅ぼしません。「シンギュラリティが到来する?」──到来しません。

 

AIはしょせん「計算機」

数学者でもある新井紀子氏は、AIは所詮コンピュータであり「四則演算」しかしていないとその理由を説明する。

つまり、四則演算に変換できること ――著者の言葉を借りるなら「論理、確率、統計」という「数学の言葉」で説明できることしか表現できないところに、今のAIの限界があるというのだ。

たとえば、いまAIが身近で活躍している分野に画像認識がある。これは「人の顔」や「猫」、「いちご」といったモノの特徴をAIに徹底的に教え込み、それを統計的に理解する ――猫に特徴的なピクセル分布、輝度分布、境界線の形状などを捉えることで「これは猫らしい」とAIが判断する、という手順を踏んでいる。

なので、AIには「写真に写り込んだポスターの中の猫」も「写真の中央に写っている人物が抱いている猫」も同じく「猫らしい」モノ、としか判断できない。また、極めて猫に似ている「子供のライオン」や「精巧に作られたぬいぐるみの猫」も同じように「猫らしい」モノとして判断する。

ここが我々との大きな違いだ。

たとえば「送る相手が猫好きだから、猫の写っているポストカードを買ってきて」と頼まれて、以下の2つのデザインのポストカードが店頭にあったら、どっちを選ぶだろう。

AIはどちらにも「猫が写っている」と自信満々に答えて両方買ってくるだろう。不正解ではない。

たしかに、1枚目は猫が写ってはいるが、これは「猫の写ったスマホを持った写真」であって「猫の写っている写真」とは言わない。猫好きの相手に送るポストカードなら、正解は2枚目だ。この判断が、AIにはまだまだ難しいのである。

それは、我々にとっては簡単なこの判断の裏には、「常識」という非常に複雑なアルゴリズムが隠れているからだ。

その「常識」を数学の言葉に置き換えることが出来るようになるまでは ――現在ではその目処も立っていないが―― AIが人間をほんとうの意味で「越える」ことはないと著者は言っている。

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「人間的な」能力は伸ばせているのか

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